トルコの国旗について
トルコの国旗、通称新月旗(しんげつき)あるいはトルコ語で「アユ・ユルドゥズ(Ay Yıldız=月と星)」や「アルサンジャク(Alsancak=紅の旗)」と呼ばれるこの旗について、その美しくも血塗られた誕生伝説、古代帝国からの歴史の継承、そして「イスラム教のシンボル」を世界に決定づけた絶大な影響力について詳しく解説します。
1. デザインと色の意味
真っ赤な背景に、白い三日月と五芒星(5つの角を持つ星)が描かれた、非常に印象的でコントラストの強いデザインです。
- 赤色(背景) トルコの独立戦争や、かつてのオスマン帝国の度重なる戦争において、国家と民族を守るために命を落とした 「殉教者(兵士)たちの血」 を象徴しています。
- 白い「三日月」と「星」 今日では一般的に 「イスラム教のシンボル」 として広く知られていますが、トルコ国家としての意味合いでは、三日月は 「進歩」 を、星は 「独立」や「国家を照らす光」 を意味するとされています。
2. 美しくも残酷な「誕生伝説」と「史実」
トルコ国旗のルーツには、国民に広く語り継がれている有名な「伝説」と、歴史学者によって指摘されている「古代からの史実」の2つが存在します。
① 伝説:血の海に浮かんだ月と星(1389年) トルコ人に最も広く信じられ、愛されているロマンチックかつ残酷な伝説です。 1389年、オスマン帝国とバルカン半島のキリスト教諸国連合軍が激突した「コソボの戦い」でのこと。この戦いでオスマン帝国は勝利を収めましたが、味方にも数え切れないほどの死傷者が出ました。 戦いの日の夜、戦場にできた「兵士たちの血の池」をオスマン帝国の皇帝が見つめると、そこに夜空の「三日月」と「輝く星(木星または金星と言われる)」がくっきりと反射して映っていました。 この美しくも悲しい光景に心を打たれた皇帝が、これを軍旗のデザインに採用した、という伝説です。
② 史実:ビザンツ帝国(東ローマ)からのシンボルの継承 歴史学的には、三日月と星のマークはイスラム教発祥以前から、古代オリエントや中央アジアの遊牧民(テュルク系民族)の間で使われていました。 さらに決定的なのは、現在のトルコの最大都市イスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)の歴史です。この都市は古くから 「三日月(古代の月の女神ヘカテーの象徴)」 を市のシンボルとしていました。後にキリスト教の東ローマ帝国時代になると、そこに 「星(聖母マリアの象徴)」 が加えられました。 1453年、オスマン帝国がこの都市を陥落させ(コンスタンティノープル陥落)、自分たちの首都にした際に 「かつての偉大な帝国のシンボルを、我々イスラムの帝国が受け継いだ」という支配の証 として、この三日月と星のマークをそのまま自国のシンボルに取り入れた、というのが有力な史実とされています。
③ 星の形が「8角」から「5角」へ(1844年) オスマン帝国時代、星の形は長らく「8つの角を持つ星(八芒星)」でした(勝利や栄光を意味する)。しかし、1844年のタンジマート(恩恵的改革)と呼ばれる近代化政策の際に現在の 「5つの角を持つ星(五芒星)」 に変更されました。 これは人間(五体)や、イスラム教の五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)を表すようになったと言われています。
現在の正確な寸法やデザインは、トルコ共和国建国後の 1936年に制定された「トルコ国旗法」 によって厳密に規格化されました。
3. 世界中に「イスラム=月と星」を定着させた元祖
「三日月と星」といえばイスラム教のマーク、と世界中の人が認識していますが、実はイスラム教の聖典コーランには「三日月と星をシンボルにしなさい」とは一言も書かれていません。元々はただのトルコ地域のローカルなマークでした。
しかし、オスマン帝国が中東、北アフリカ、東ヨーロッパを支配する巨大な超大国として何百年も君臨し、その国旗として「三日月と星」を掲げ続けたため、ヨーロッパなど外界の人々から見て「あの三日月と星の旗=イスラム教徒たち」というイメージが完全に定着したのです。
そのため、オスマン帝国の影響を受けた国や、後に独立したイスラム圏の国々(パキスタン、アルジェリア、チュニジア、アゼルバイジャン、マレーシアなど)の国旗には、こぞって「トルコを真似た三日月と星」がイスラムの連帯を示すシンボルとして採用されています。トルコ国旗は、現在のイスラム諸国の国旗の「偉大なるデザインの源流」なのです。
4. 知っておきたい豆知識(異常なまでの国旗愛と法律)
- 世界一国旗を愛する国? トルコに行くと、他のどの国よりも「街中が国旗だらけ」であることに驚かされます。祝日だけでなく日常的に、ビルの壁面全体を覆うような超巨大な国旗が垂らされていたり、山の斜面に石を並べて巨大な国旗が描かれていたりします。トルコ国民の愛国心と国旗への誇りは世界でもトップクラスです。
- 侮辱に対する「非常に厳しい刑罰」 トルコでは国旗に対する敬意が法律(トルコ刑法)で極めて厳格に守られています。国旗を破ったり、燃やしたり、侮辱するような言葉を吐いたりすることは 重犯罪であり、実刑判決(禁錮刑)を受けます。 また、国旗を「座布団」や「靴」、「敷物」など、人が踏んだり座ったりする場所にデザインすることも法律で固く禁じられています。
- 星の位置と角度の厳格なルール 幾何学的に、三日月の外側の円と内側の円のカーブの割合が法律で細かく決まっています。また、星の位置は 「星の1つの角の延長線上が、三日月の欠けている部分のちょうど真ん中(両端を結んだ線の中心)を貫く」 ように、絶妙なバランスで配置されています。
以上のように、トルコの国旗「新月旗」は、戦場の血の池の伝説と、ビザンツ帝国からの歴史の略奪と継承という壮大なドラマを持ち、それがそのまま「世界中のイスラム教のシンボル」へと昇華された、世界史において極めて重要な役割を果たした国旗なのです。
素材について
トルコの国旗、通称新月旗(しんげつき)あるいはトルコ語で「アユ・ユルドゥズ(Ay Yıldız=月と星)」や「アルサンジャク(Alsancak=紅の旗)」と呼ばれるこの旗について、その美しくも血塗られた誕生伝説、古代帝国からの歴史の継承、そして「イスラム教のシンボル」を世界に決定づけた絶大な影響力について詳しく解説します。
1. デザインと色の意味
真っ赤な背景に、白い三日月と五芒星(5つの角を持つ星)が描かれた、非常に印象的でコントラストの強いデザインです。
- 赤色(背景) トルコの独立戦争や、かつてのオスマン帝国の度重なる戦争において、国家と民族を守るために命を落とした 「殉教者(兵士)たちの血」 を象徴しています。
- 白い「三日月」と「星」 今日では一般的に 「イスラム教のシンボル」 として広く知られていますが、トルコ国家としての意味合いでは、三日月は 「進歩」 を、星は 「独立」や「国家を照らす光」 を意味するとされています。
2. 美しくも残酷な「誕生伝説」と「史実」
トルコ国旗のルーツには、国民に広く語り継がれている有名な「伝説」と、歴史学者によって指摘されている「古代からの史実」の2つが存在します。
① 伝説:血の海に浮かんだ月と星(1389年) トルコ人に最も広く信じられ、愛されているロマンチックかつ残酷な伝説です。 1389年、オスマン帝国とバルカン半島のキリスト教諸国連合軍が激突した「コソボの戦い」でのこと。この戦いでオスマン帝国は勝利を収めましたが、味方にも数え切れないほどの死傷者が出ました。 戦いの日の夜、戦場にできた「兵士たちの血の池」をオスマン帝国の皇帝が見つめると、そこに夜空の「三日月」と「輝く星(木星または金星と言われる)」がくっきりと反射して映っていました。 この美しくも悲しい光景に心を打たれた皇帝が、これを軍旗のデザインに採用した、という伝説です。
② 史実:ビザンツ帝国(東ローマ)からのシンボルの継承 歴史学的には、三日月と星のマークはイスラム教発祥以前から、古代オリエントや中央アジアの遊牧民(テュルク系民族)の間で使われていました。 さらに決定的なのは、現在のトルコの最大都市イスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)の歴史です。この都市は古くから 「三日月(古代の月の女神ヘカテーの象徴)」 を市のシンボルとしていました。後にキリスト教の東ローマ帝国時代になると、そこに 「星(聖母マリアの象徴)」 が加えられました。 1453年、オスマン帝国がこの都市を陥落させ(コンスタンティノープル陥落)、自分たちの首都にした際に 「かつての偉大な帝国のシンボルを、我々イスラムの帝国が受け継いだ」という支配の証 として、この三日月と星のマークをそのまま自国のシンボルに取り入れた、というのが有力な史実とされています。
③ 星の形が「8角」から「5角」へ(1844年) オスマン帝国時代、星の形は長らく「8つの角を持つ星(八芒星)」でした(勝利や栄光を意味する)。しかし、1844年のタンジマート(恩恵的改革)と呼ばれる近代化政策の際に現在の 「5つの角を持つ星(五芒星)」 に変更されました。 これは人間(五体)や、イスラム教の五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)を表すようになったと言われています。
現在の正確な寸法やデザインは、トルコ共和国建国後の 1936年に制定された「トルコ国旗法」 によって厳密に規格化されました。
3. 世界中に「イスラム=月と星」を定着させた元祖
「三日月と星」といえばイスラム教のマーク、と世界中の人が認識していますが、実はイスラム教の聖典コーランには「三日月と星をシンボルにしなさい」とは一言も書かれていません。元々はただのトルコ地域のローカルなマークでした。
しかし、オスマン帝国が中東、北アフリカ、東ヨーロッパを支配する巨大な超大国として何百年も君臨し、その国旗として「三日月と星」を掲げ続けたため、ヨーロッパなど外界の人々から見て「あの三日月と星の旗=イスラム教徒たち」というイメージが完全に定着したのです。
そのため、オスマン帝国の影響を受けた国や、後に独立したイスラム圏の国々(パキスタン、アルジェリア、チュニジア、アゼルバイジャン、マレーシアなど)の国旗には、こぞって「トルコを真似た三日月と星」がイスラムの連帯を示すシンボルとして採用されています。トルコ国旗は、現在のイスラム諸国の国旗の「偉大なるデザインの源流」なのです。
4. 知っておきたい豆知識(異常なまでの国旗愛と法律)
- 世界一国旗を愛する国? トルコに行くと、他のどの国よりも「街中が国旗だらけ」であることに驚かされます。祝日だけでなく日常的に、ビルの壁面全体を覆うような超巨大な国旗が垂らされていたり、山の斜面に石を並べて巨大な国旗が描かれていたりします。トルコ国民の愛国心と国旗への誇りは世界でもトップクラスです。
- 侮辱に対する「非常に厳しい刑罰」 トルコでは国旗に対する敬意が法律(トルコ刑法)で極めて厳格に守られています。国旗を破ったり、燃やしたり、侮辱するような言葉を吐いたりすることは 重犯罪であり、実刑判決(禁錮刑)を受けます。 また、国旗を「座布団」や「靴」、「敷物」など、人が踏んだり座ったりする場所にデザインすることも法律で固く禁じられています。
- 星の位置と角度の厳格なルール 幾何学的に、三日月の外側の円と内側の円のカーブの割合が法律で細かく決まっています。また、星の位置は 「星の1つの角の延長線上が、三日月の欠けている部分のちょうど真ん中(両端を結んだ線の中心)を貫く」 ように、絶妙なバランスで配置されています。
以上のように、トルコの国旗「新月旗」は、戦場の血の池の伝説と、ビザンツ帝国からの歴史の略奪と継承という壮大なドラマを持ち、それがそのまま「世界中のイスラム教のシンボル」へと昇華された、世界史において極めて重要な役割を果たした国旗なのです。
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詳細データ・リンク
| 素材名 | トルコの国旗 |
|---|---|
| キーワード | トルコ, 国旗 |
| 制作者 (Creator) | 3kaku-K |
| 著作権 (Copyright) | 3kaku-K |
| クレジット (Credit) | freesozai.jp |
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