オスマン帝国旗について
オスマン帝国(1299年 - 1922年)の国旗について詳しく解説します。現在のトルコ共和国の国旗(新月旗)の直接のルーツですが、600年以上にも及ぶ広大な帝国の歴史において、「国旗」という概念やデザインは時代によって大きく変化してきました。近代になってようやく統一されたオスマン帝国の公式な国旗と、そこに辿り着くまでの壮大な歴史、そして「8角形の星」が持っていた意味などを深掘りします。
1. 600年の歴史:「国旗」がなかった帝国
そもそも、オスマン帝国の初期から中期にかけては、西洋的な「国を代表する一つの国旗」という概念が存在しませんでした。
- 初期のシンボルは「馬の尻尾」と「トゥグラ」 遊牧民をルーツに持つオスマン帝国では、軍団のシンボルとして 「トゥグ(馬の尻尾を棒の先に吊るしたもの)」 が使われていました。また、皇帝(スルタン)の権威を示すものとしては、国旗よりも 「トゥグラ(スルタンの非常に複雑で美しい花押・サイン)」 を記した旗や紋章が圧倒的に重要視されていました。
- 用途別の無数の旗 陸軍、海軍、商船、宗教的行事など、用途や部隊によって「赤・緑・白・黄」などの無地の旗や、三日月が1つ〜3つ描かれた旗、剣(ズルフィカールという二又の剣)が描かれた旗など、バラバラの旗が使われていました。
2. 近代オスマン帝国国旗の誕生(1844年)
19世紀に入ると、西洋列強に対抗するために「近代国家としての体裁」を整える必要に迫られました。
1844年、アブデュルメジト1世による近代化改革(タンジマート)の一環として、バラバラだった旗が統一され 「赤地に白い三日月と星」 という近代オスマン帝国の公式な国旗が初めて法律で定められました。
- 赤色(背景) オスマン帝国の 「世俗的な国家権力」 と帝国の主権、そして帝国を守るために流された血を象徴しています。(※宗教的な意味を持つ「緑色」と明確に区別されました。詳しくは後述します)。
- 三日月(新月) 1453年にコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を陥落させてビザンツ帝国(東ローマ)を滅ぼした際、その都市の伝統的なシンボルであった三日月を「帝国の勝利の証」として受け継いだものです。また、遊牧民としてのテュルク民族の伝統でもありました。
3. 星の形:「8角」から「5角」へのミステリー
オスマン帝国の旗に描かれる「星」の形は、歴史の中で非常に重要な変化を遂げています。
- かつては「8つの角(八芒星)」だった 18世紀後半から19世紀前半にかけて、海軍の旗などに三日月と星が描かれるようになった当初、星の角は 「8つ(八芒星)」 でした。 イスラム美術において8角形の星(ルブ・エル・ヒズブ)は非常にポピュラーな幾何学模様であり、 「勝利」や「栄光」、 または世界の8つの方向を支配するという帝国の威信を表していました。
- なぜ「5つの角(五芒星)」に変わったのか?(1844年〜) 1844年の国旗制定時に、星の角は現在と同じ 「5つ(五芒星)」 に変更されました。 この理由には諸説ありますが、最も有力なのは 「ヨーロッパの近代的な国旗のトレンド(星条旗やフランスの理念など)に合わせたため」 と、イスラム教における 「五行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)」 という教義の根本に結びつけたためだと言われています。
4. 国家の「赤」と、宗教の「緑」の二刀流
オスマン帝国最大の特異性は 「スルタン(世俗の世襲皇帝)」 でありながら、同時にイスラム教の世界最高指導者である 「カリフ」 を兼ねていたこと(スルタン=カリフ制)です。
そのため、オスマン帝国後期には「2つの巨大な権威」を示すために、明確に色分けされた2種類の旗が使い分けられていました。
- 国家の旗(赤地に白の三日月と星) オスマン帝国という 「国家・政府・世俗的な権力」 を表す旗。これが公式な国旗です。
- カリフの旗(緑地に白の三日月と星、またはコーランの言葉) イスラム共同体(ウンマ)の最高指導者としての 「宗教的な権威」 を表す旗。 緑色はイスラム教の最も神聖な色です。オスマン帝国の皇帝は、全世界のイスラム教徒の守護者として振る舞う際(宗教行事や、異教徒への聖戦=ジハードを宣言する際など)には、この「緑色の旗」を掲げました。
5. 世界史における絶大な影響:旧領土に広がる「子孫たち」
オスマン帝国の「赤地に三日月と星」の国旗は、現在のトルコ共和国にそのまま引き継がれただけでなく かつてオスマン帝国の支配下にあったり、強い影響下にあったりした国々の国旗デザインの「親」 となりました。
オスマン帝国から独立した多くのアラブ・北アフリカ諸国は、かつての宗主国のシンボルであった「三日月と星」をアレンジして自国の国旗に取り入れました。
- チュニジアの国旗:赤地に白い円、その中に赤い三日月と星(オスマン帝国の海軍旗に極めて近いデザインです)。
- アルジェリアの国旗:緑と白の背景に赤い三日月と星。
- リビア(旧王政時代など):三日月と星を使用。
- エジプト(王国時代):緑地に白い三日月と3つの星(オスマン帝国から独立したエジプト・ムハンマド・アリー朝の旗)。
このように、オスマン帝国の国旗は「一つの帝国の旗」という枠を飛び越え、数百年かけて「三日月と星=イスラム世界の普遍的なシンボル」という世界規模の共通認識を創り上げた、人類史上最も影響力のある旗の一つなのです。
素材について
オスマン帝国(1299年 - 1922年)の国旗について詳しく解説します。現在のトルコ共和国の国旗(新月旗)の直接のルーツですが、600年以上にも及ぶ広大な帝国の歴史において、「国旗」という概念やデザインは時代によって大きく変化してきました。近代になってようやく統一されたオスマン帝国の公式な国旗と、そこに辿り着くまでの壮大な歴史、そして「8角形の星」が持っていた意味などを深掘りします。
1. 600年の歴史:「国旗」がなかった帝国
そもそも、オスマン帝国の初期から中期にかけては、西洋的な「国を代表する一つの国旗」という概念が存在しませんでした。
- 初期のシンボルは「馬の尻尾」と「トゥグラ」 遊牧民をルーツに持つオスマン帝国では、軍団のシンボルとして 「トゥグ(馬の尻尾を棒の先に吊るしたもの)」 が使われていました。また、皇帝(スルタン)の権威を示すものとしては、国旗よりも 「トゥグラ(スルタンの非常に複雑で美しい花押・サイン)」 を記した旗や紋章が圧倒的に重要視されていました。
- 用途別の無数の旗 陸軍、海軍、商船、宗教的行事など、用途や部隊によって「赤・緑・白・黄」などの無地の旗や、三日月が1つ〜3つ描かれた旗、剣(ズルフィカールという二又の剣)が描かれた旗など、バラバラの旗が使われていました。
2. 近代オスマン帝国国旗の誕生(1844年)
19世紀に入ると、西洋列強に対抗するために「近代国家としての体裁」を整える必要に迫られました。
1844年、アブデュルメジト1世による近代化改革(タンジマート)の一環として、バラバラだった旗が統一され 「赤地に白い三日月と星」 という近代オスマン帝国の公式な国旗が初めて法律で定められました。
- 赤色(背景) オスマン帝国の 「世俗的な国家権力」 と帝国の主権、そして帝国を守るために流された血を象徴しています。(※宗教的な意味を持つ「緑色」と明確に区別されました。詳しくは後述します)。
- 三日月(新月) 1453年にコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を陥落させてビザンツ帝国(東ローマ)を滅ぼした際、その都市の伝統的なシンボルであった三日月を「帝国の勝利の証」として受け継いだものです。また、遊牧民としてのテュルク民族の伝統でもありました。
3. 星の形:「8角」から「5角」へのミステリー
オスマン帝国の旗に描かれる「星」の形は、歴史の中で非常に重要な変化を遂げています。
- かつては「8つの角(八芒星)」だった 18世紀後半から19世紀前半にかけて、海軍の旗などに三日月と星が描かれるようになった当初、星の角は 「8つ(八芒星)」 でした。 イスラム美術において8角形の星(ルブ・エル・ヒズブ)は非常にポピュラーな幾何学模様であり、 「勝利」や「栄光」、 または世界の8つの方向を支配するという帝国の威信を表していました。
- なぜ「5つの角(五芒星)」に変わったのか?(1844年〜) 1844年の国旗制定時に、星の角は現在と同じ 「5つ(五芒星)」 に変更されました。 この理由には諸説ありますが、最も有力なのは 「ヨーロッパの近代的な国旗のトレンド(星条旗やフランスの理念など)に合わせたため」 と、イスラム教における 「五行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)」 という教義の根本に結びつけたためだと言われています。
4. 国家の「赤」と、宗教の「緑」の二刀流
オスマン帝国最大の特異性は 「スルタン(世俗の世襲皇帝)」 でありながら、同時にイスラム教の世界最高指導者である 「カリフ」 を兼ねていたこと(スルタン=カリフ制)です。
そのため、オスマン帝国後期には「2つの巨大な権威」を示すために、明確に色分けされた2種類の旗が使い分けられていました。
- 国家の旗(赤地に白の三日月と星) オスマン帝国という 「国家・政府・世俗的な権力」 を表す旗。これが公式な国旗です。
- カリフの旗(緑地に白の三日月と星、またはコーランの言葉) イスラム共同体(ウンマ)の最高指導者としての 「宗教的な権威」 を表す旗。 緑色はイスラム教の最も神聖な色です。オスマン帝国の皇帝は、全世界のイスラム教徒の守護者として振る舞う際(宗教行事や、異教徒への聖戦=ジハードを宣言する際など)には、この「緑色の旗」を掲げました。
5. 世界史における絶大な影響:旧領土に広がる「子孫たち」
オスマン帝国の「赤地に三日月と星」の国旗は、現在のトルコ共和国にそのまま引き継がれただけでなく かつてオスマン帝国の支配下にあったり、強い影響下にあったりした国々の国旗デザインの「親」 となりました。
オスマン帝国から独立した多くのアラブ・北アフリカ諸国は、かつての宗主国のシンボルであった「三日月と星」をアレンジして自国の国旗に取り入れました。
- チュニジアの国旗:赤地に白い円、その中に赤い三日月と星(オスマン帝国の海軍旗に極めて近いデザインです)。
- アルジェリアの国旗:緑と白の背景に赤い三日月と星。
- リビア(旧王政時代など):三日月と星を使用。
- エジプト(王国時代):緑地に白い三日月と3つの星(オスマン帝国から独立したエジプト・ムハンマド・アリー朝の旗)。
このように、オスマン帝国の国旗は「一つの帝国の旗」という枠を飛び越え、数百年かけて「三日月と星=イスラム世界の普遍的なシンボル」という世界規模の共通認識を創り上げた、人類史上最も影響力のある旗の一つなのです。
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詳細データ・リンク
| 素材名 | オスマン帝国の旗 |
|---|---|
| キーワード | オスマン帝国, 国旗 |
| 制作者 (Creator) | 3kaku-K |
| 著作権 (Copyright) | 3kaku-K |
| クレジット (Credit) | freesozai.jp |